【歴史】シゴハチに託された想い(C58 19・西古川地区)

蒸気機関車C58 19が保存されている大崎市西古川地区。

C58 19は大崎市内のシゴハチたちの中では最年長者の蒸気機関車です。

塗装の劣化や錆び、所々に穴が開いているなど状態は悪いですが、全国の保存修復事例から見れば、まだまだ問題なく綺麗にすることができます。

現在このシゴハチに取り付けられているナンバープレートはレプリカであり、本物は近くの西古川地区公民館に保存されております。

訪問させて頂いた10月25日には「こうみんかんプラモ展示会」というとてもユニークな企画が行われておりました。

「にしふるかわ模型クラブ」様が6年前から開催されているこの企画、色々な方々からのエントリーがあり、どれもこれも精巧に丁寧に作られている力作ばかり!11月3日まで開催されておりますので、ぜひ足を運ばれてみてはいかがでしょうか?

そしてこちらが当時、C58 19に取り付けられていた本物のナンバープレートです。

C58 19が生まれた昭和13年は、国家総動員法の公布により本格的戦時体制が確立した時代。

まさに日本が戦争と言う激動の時代に突入した時の事でした。

C58 19誕生から7年後の昭和20年は戦争末期であり、動くものは皆標的の時代でした。

煙を出しているからすぐに場所がわかる蒸気機関車は米軍機の格好の餌食だったのです。

鉄道車両だけではなく、物資を運ぶ鉄道施設も重点的に攻撃を受けました。

(動画は一関ではありませんが、同様の出来事が全国でありました)

そうした最中、C58 19は戦争末期には岩手県一関市に配属されていました。一関では空襲もあったので、C58 19号機は「運良く」助かった蒸気機関車の1両です。機銃掃射やロケット弾で攻撃を受けた一関の蒸気機関車は4両が破壊されました。(写真は岩手県黒沢尻空襲の様子で、同じ米軍機がこの空襲を行った後に一関を空襲しました)


終戦間際の昭和20年8月9日、国鉄一ノ関駅の職員が構内で一枚のビラを拾いました。米軍機が落としたビラで、内容は「翌10日に一関を空襲する。避難せよ」というものでした。10日午前8時頃、駅長は71人が乗った大船渡線の列車を、定刻よりも早く出発させたその30分後、予告通りに米軍機が飛来。駅を目がけた空爆で、投下された爆弾は4発。駅前広場に落下した爆弾は、3人の命を奪いました。機関車を狙った爆弾は、貨物線の防空壕ごうの中央に落下し防空壕が崩れ、避難していた33人中25人が亡くなりました。そのうち19名が14歳から20歳までの少年鉄道員でした。

駅長の機転で早く出発した71人の乗客は難を免れたものの、この空襲により尊い36人もの命が犠牲となりました。こうした悲しくも辛い時代を見つめてきたのも他ならぬC58 19号機だったのです。もしかしら30分早く出発した蒸気機関車がこのC58 19だった可能性もゼロではありません。


なお一関が空襲を受けた前日、長崎では原爆が投下され約7万4千人もの命が犠牲となっています。あの時代は人も蒸気機関車も、いつ誰が死んでもおかしくはない時代でした。

そして終戦後、C58 19は昭和22年に仙台へ配属となり、昭和32年9月に陸羽東線へやってきました。当時は高度経済成長期の真っ只中で、大崎市を代表する鳴子温泉郷へたくさんのお客さんを運び、大崎耕土の美味しいお米を全国へ出荷したのも他ならぬシゴハチ達でした。(写真はC58 117)

そして昭和49年6月・・・、C58 19はこの西古川地区にやってきました。

戦前・戦中・戦後と激動の昭和時代を駆け抜けた蒸気機関車だったからこそ、当時の国鉄職員の方々は天皇陛下が御乗車される「お召列車」同様に無償でピカピカに磨き上げて、この西古川の地に送り届けてくれたのでした。

写真は当時の物ですがナンバープレートが外されているのがわかりますね。この外された本物のナンバープレートが西古川地区公民館様に保存されております。

そしてこの式次第はC58 19保存当日に配布されたものです。

「歓迎」と書かれた言葉に、当時の方々の想いが伝わってきます。


実はこの資料、C58 19のナンバープレートが保存されている西古川地区公民館で開催されている「こうみんかんプラモ展示会」の「にしふるかわ模型クラブ」の方の曽祖父様のご遺品で、しっかりとした色紙ケースの中に保存されており、つい先日見つかったばかりのものだったそうです。

実は曽祖父様は陸羽東線の蒸気機関車の機関士さんだったそうで、だからこそこの式次第を大事に遺されていたのでしょうね。

「こんにちは古川の皆さん」と描かれたイラストにはあたたかさを感じます。

蒸気機関車は「石炭」を食べ「水」を飲み、一生懸命に走るその姿から『最も人間に近い機械』と呼ばれています。

だからこそ、こうした式次第が書かれたのでしょう。

「おいらは幸せ者だ」と書かれたC58 19の言葉に胸が痛みます・・・。

今こうしてこの式次第が見つかったのは単なる偶然なのかもしれません。

しかし、当時の方々の想いを知る大切なきっかけになった事は紛れもない事実です。

陸羽東線シゴハチ歴史保存会ではこうした当時の方々の想いもしっかり含めて、後世にシゴハチたちを遺していきたいと願っております。


【謝辞】

ナンバープレートをご紹介頂いた西古川地区公民館様と、貴重な式次第をご提供頂いたにしふるかわ模型クラブ様に心より深く感謝申し上げます。

陸羽東線シゴハチ歴史保存会・陸羽東線シゴハチの里PROJECT

陸羽東線シゴハチ歴史保存会では、大崎市内に静態保存されている蒸気機関車「C58」の保存活動として、 「陸羽東線シゴハチの里PROJECT」を展開しております。