保存車両について

大崎市内には3両の蒸気機関車が保存されています。

いずれも「C58形」という形式名称であり、「シゴハチ」の愛称でファンには親しまれています。

全国的に配備された蒸気機関車ですが、鳴子峡の美しい紅葉とも相まって、奥羽山脈の峠越えのために蒸気機関車が連結して坂に挑む勇ましい姿から「シゴハチと言えば陸羽東線」と呼ばれるほどでした。


また、一つの沿線で同じ形式の蒸気機関車が3両も保存されているのは全国的にも珍しく、さらには全て「戦前」に作られたもの。驚くことに、日本人なら誰しもが知っているであろう「戦艦大和」と同世代です。この大崎市で・・・と言うよりもこの日本で、遠くなったあの激動の時代のものが、今もこうして手に触れて見られるものがどれほど残っているでしょうか?大崎市内の蒸気機関車3両すべてが戦時中は空襲を受けた地区に配属されており、いつ誰がどこで死んでもおかしくなかったあの時代、米軍機の格好の標的となっていた蒸気機関車も同じく戦中を生き残れた事は奇跡に近い状況でした。


陸羽東線のシゴハチたちはそうした戦時中の空襲や機銃掃射等の戦禍をくぐり抜けて、高度経済成長期の日本を支え続け、引退から約50年の月日が経った令和の時代にも存在し続けています。

C58 19

陸羽東線の最晩年まで走り続けた生え抜きの機関車

1938-09-26 川崎車輌兵庫NO.1982 新製 / 配属:大阪局 / 配置:福知山区

1941-10   福知山区→豊岡区和田山支区

1943-09-27   豊岡区和田山支区→一ノ関区 

1944-08   一ノ関区→仙台区

1956-09   仙台区→小牛田区

1960-04-01 小牛田区→陸東・石巻線管理所(組織変更)

1966-03-3   陸東・石巻線管理所

1971-04-01 陸東・石巻線管理所→小牛田運転区(組織変更)

1973-04-11 奥羽本線芦沢-舟形間の不通により青森方面と往来する優等列車が陸羽東線を迂回運転することになり、

      本機も4/17・4/19・4/21に「急行津軽1号・2号」を牽引

1973-04-25 第一種休車指定 小牛田運転区

1973-11   廃車(小牛田運転区)走行距離 約1,987,000km

1974-05-21 西古川児童公園(西古川駅前)にて保存

2024-02   解体

C58 114

伊達政宗の居城・岩出山城に鎮座・陸羽東線生粋のシゴハチ

1939-02-18    汽車製造大阪 NO.1694 新製 / 配属:大阪局 / 配置:奈良区

1940-08      奈良区→紀伊田辺区

1943-02-14   紀伊田辺区→宮古区

1944-08   宮古区→仙台区

1949-11-01   小牛田区

1950-04-01  第一種休車

1971-04-0  陸東・石巻線管理所→小牛田運転区(組織変更)

1973-01-17     廃車(小牛田運転区) 走行距離 約2,100,000km D51791

1973-03-14  仙台鉄道管理局長と宮城県岩出山町長との間で無償貸与契約締結、城山公園にて保存

C58 356

奥羽山脈越えの峠の湯治場にのこるC58

1944-01-21 川崎車輌兵庫NO.2929新製 / 配属:大阪局 / 配置:王寺区

1949-03-01 王寺区

1954-10-08 王寺区→宮古区 その後、郡山式集煙装置取付

1969-10   宮古区→尻内区 その後、郡山式集煙装置取外し・前照灯シールドビーム取付

1971-04-01 尻内区→八戸区(名称変更)

1972-06-26 八戸区→小牛田運転区

1973-04-01 特別休車 小牛田運転区

1973-04-25 特別休車指定解除 第一種休車指定 小牛田運転区

1973-11   廃車

1974-06-05 仙台鉄道管理局長と宮城県鳴子町長との間で無償貸与契約締結、中山平駅側線跡地にて保存

2022-05   地域要望により解体




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